国産材はなぜ売れなかったのか

宗教・心理・社会・思想・哲学・教育
著者/監督or主演荻 大陸

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スメルジャコフ [2010年12月15日(水)]

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昭和30年(1955年)ごろまで、
薪炭をとるため広葉樹を再生循環利用する薪炭林業と、
現在では、一般的になっている、建材に使用するための
人工林業が混在していた、
いずれにせよ、焼畑林業が主流であったようだ。

第二次世界大戦後、昭和48年(1973年)まで、
木材需要は急増しつづけた。この時代、林家は、おのずと価格上昇が期待できたし、製材業が山を買うと2倍、3倍になると言われた。

このような状況から、製材業は品質を上げる努力を怠った。
業界では、「空気売り」と称する言葉があった。
角のない小径の小丸太を売れば、実在しない角の量だけ儲けが出る。
皮肉にも、大径級の外材の輸入は、この悪習を正した。

木材不況が構造的になったのは、木材需要が低迷したからであるが、
一方で、その安定供給から、製材加工業者は、外材を選んだ。

平成7年(1995)の阪神対震災をきっかけに、
集成材の評価が高まった。
そ集成材の原料板であるラミナは、外材であった。

集成材の時代は、北米材の後退と、欧米材の台頭を意味した。
欧州材は、北米材より品質管理が徹底していた。

平成13年(2001年)、モードは変わる。
住友林業をはじめ、住宅メーカーが国産材を使い始めた。

その理由は、
1)消費者が安全、安心を求め始めた。
2)中国の旺盛な需要による、外材に対する供給不安
3)環境問題の高まり
である。


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すみません、取り乱しました。