アメリカ素描

自伝・伝記・エッセイ
著者/監督or主演司馬遼太郎

この本を読書記録に登録する。

読者ナンバー
パスワード (パスワードを忘れた場合はこちらから調べられます。)
評価
コメント
 

スメルジャコフ [2010年11月17日(水)]

評価:



3つほど感想がある。

ひとつは、日本と西欧の関わりについての記述だ。

「だから、アジア人のたれのなかにも、照明具としての「欧米」はある。
 たとえば、私のような者でも、日本史を考えるときも、必然的に「欧米」の白地図を横に置いているらしい。その「欧米」は、手づくりのしかも観念的なもので、実在の欧米ではない(実在の欧米は、照明具として役に立たない)」

ふたつめ。著者のアイルランド人への共感である。
その愛着から、アメリカが描かれている部分が引き立っている。

みっつめ。
アメリカは、時代に合わなくなったものを、
簡単に捨ててしまうという指摘。

1) フィラルディルフィアは、19世紀から20世紀半ばまで、造船・造機などで盛り上がったが、機能を失った都市として、廃品当然となっている。
2) ニューヨークは、1960年頃まで平和であった。
3) ハーレムは19世紀末は、ニューヨークの高級住宅地であった。
4) 品質管理は、第二次世界大戦下のアメリカの御家芸であった。戦争に必要な兵器、機材などにばらつきがあっては、戦いに影響が出るだめだ。しかし戦争が終わると、法や監督による規制は捨てられ、企業ごと自由にまかされた。一方、日本には、品質管理の大切さが残り、わが国の文化のようになった。

その他、大切な文章を写しておく。

「その国を見るには、まず原形(あるいは原質)をとりだして、現状と照合するのが、作業の諸段階だと私は思っている」

「文明は大陸の多民族国家でおこるものだから、孤島に住む日本人は、それをみずから興すことを半ばあきらめている。むしろ、受益者になろうとしてきた。ただし、みずからを失うまで受容したことは一度もなかった。
たとえば日本はかつて中国文明から受容した。唐代―奈良朝時代では、詩文と仏教を学び、宋代―鎌倉時代では朱子学と禅をふくむ思想をまなんだ。その多くは書物を通じての接触で、中国そのものになったり、追随したりしたことは一度もない。元、明、清の中国については、日本は、中国文明はすでに衰弱したものとみて、関心を薄らがせた。アメリカに対しても、
一見追従してみえるかもしれないが、この態度を文明への固有の尊敬心として解釈してもらえまいか」


top
by/ ホームページ制作・グラフィック・WEBデザイン 8pweb
すみません、取り乱しました。